kazuさんのダイアリー(仮)

07年3月から始め、19年1月にダイアリーからブログに引っ越し。

「ドラえもん最終回」について

ドラえもん最終回」事件は実は寡聞にして最近存在を知った。
ドラえもん最終話同人誌問題 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/ドラえもん最終話同人誌問題


ドラえもん最終回」と言っても、藤子不二雄氏本人が描いたのではなく、同人誌で枚数は少ない。


しかし、まるで藤子不二雄氏本人が描いたような完璧な絵柄と話の進め方。

ドラえもん」への愛が溢れている。

恐らく藤子不二雄氏では思いつかなかっただろう、「ドラえもん」の仕組みとタイムパラドックスと構成。


何よりその筋自体に大変感動した。
のび太の成長に、涙がこぼれ落ちそうになった。
これほど立派な終わり方が長編漫画であっただろうか?

ところが、これがあまりにも立派だったので藤子プロは事態を重く見、裁判に訴え、同人誌「ドラえもん最終回」作者は謝罪、利益の一部を返還して終ったという事だ。


この騒動について考察したブログを読んだ。
そこでは、藤子不二雄氏は最終話をどう締めくくっていいのか苦悩していただろうという推察を加えている。
藤子不二雄氏自身が設定した「ジレンマ」に解決を見いだせなかったのだ、と。
(無許可で引用しています。ブログ主さんごめんなさい)


私もリアルタイムで「ドラえもん」を読んだ一人として、藤子不二雄氏がどう「ドラえもん」を終らせればいいのか解決できなかったのではないか、という印象を持っていた。
一方で原作者が終りを見つけきれなかったが故に、終わりに向かって話が一直線に進む事もなく、物語を長く続けられたのだろうとも思う。


しかし、実のところ、「のび太」があまりにもだらしなく、成長をちっともしない上に私自身が年齢を重ね成長していったので「ドラえもん」自体は漫画として続いていったが、私は自然と「ドラえもん」から離れていった。


そういう読者も多かったであろう中、
この同人出身の「ドラえもん最終回」はとても立派だった。
私のみならず、
多くの「ドラえもん」読者を感動させただろう。

それは作者も悩んだジレンマを同人出身の漫画家が見事に解決してみせた腕前があった。
とても自然で、凡庸な終わりではなく、「ドラえもん」に夢中になった読者に気持ちの区切りと「ドラえもん」らしい明るい希望と「のび太」の成長と友情に深い感動を与えてくれた。

藤子不二雄氏が見つけきれなかった終わりを、
ドラえもん」を見て育ち大人になった漫画家が「ドラえもん」への愛が高じて「最終回」を描ききったのだ。

かつて多くの読者が「のび太」に自分を重ねて読んだその「のび太」が読者を追い越し立派に成長してみせたのだ。

藤子不二雄氏が撒いた種を真っ正面にとらえた少年が大人になって見事に解決してみせた。
ドラえもん最終回」の筋の底にはそういう感動も伴っている。

これを終わりにしなくて、どういう終わり方を藤子プロは最高だと考えているのだろう。
藤子不二雄氏本人が立派に終わりを描いたとしても、それがこの「ドラえもん最終回」ほど感動を与えただろうか。



藤子プロはこの同人誌の漫画家から幾ばくかの利益を分捕った。それで嬉しいのだろうか。
かつて少年として少ない小遣いから捻出して毎月待ち遠しい思いで買った「ドラえもん」読者から見ればこれほど見苦しいものはない。失望すら覚える。この同人誌漫画家も強い愛があったが故にどれだけ失望しただろうか。

著作権を四角四面にとらえると本当に感動的な終わり方もできない凡庸な物語ばかりになってしまうのではないか。

ドラえもん」の最終回はこの「ドラえもん最終回」で良かったと思う。

漫画家さん、ありがとう。